プロフィール

私のハンドルネームは「こずか」と言います。
昭和30年代産まれです。
群馬県で産まれて、実家でそのまま育ちました。

私はクルーゾン病と言う病気で産まれました。
クルーゾン症候群とも呼ばれるこの病気は
FGFR2遺伝子(一部FGFR3遺伝子)の異常により先天的な頭蓋骨や顔面骨
(基本的に下顎を除く)の形成異常がおこり、その結果脳の発達が妨げられたり、
眼球が突出したり、呼吸が障害されたりします。

実は私の母や、8歳年上の姉もクルーゾン病なので、私も遺伝と言うわけです。
でも、私の場合は姉よりもかなり重かったので、
母は赤ちゃんの私をあちこちの病院に連れて行ったそうです。
でも、その頃の医学では、なす術がなく、私は病気を抱えたまま育ちました。

この病気の事で、外見をからかわれる事も多く、小学校時代はいじめにも遭いました。
色々なあだ名を付けられましたが、一番多かったのは「デメキン」
これで、私がどんな顔をしていたか、おわかりだと思います。

私はこの自分の顔は個性だと思っていたのですが、世間の目は厳しく、
その為、顔にコンプレックスを持つ様になりました。

私がお人形やぬいぐるみなどの可愛い物や、綺麗な物が人一倍大好きなのは、
このコンプレックスのせいなのかも知れません。

次第に私は心を閉ざしてしまいました。
学校で一言も喋れなくなったのです。
家は、普通に話が出来るのですが、
学校や知らない場所では話す事が出来ませんでした。
私の様な児童を「かん黙児」と言うそうです。

ちなみに、小学校の前は保育園や幼稚園には行っていません。
私は覚えてないのですが、母の話だと泣いて行くのを嫌がったそうです。

学校は好きではなかったです。
本当は通いたくはなかったのですが、
両親が休む事を許してくれなかったので、我慢して通っていました。
話をしなかったので、当然、友達も出来ませんでした。
勉強は得意ではなかったですが、嫌いでもなかったです。
学校は特に友達も出来ないまま、地元のデザイン系短大まで通いました。
今思うと、良くもまあ短大まで通っていたと思います。

短大卒業後は、地元の会社勤めをしました。
会社では、口数は多いほうではなかったですが、普通に話も出来る様になりました。

そんな時、クルーゾン病の手術が出来る病院がある事を知りました。
週刊誌で、海外の女の子がクルーゾン病の手術の為に来日したと言う記事を読んだのです。

それからの私は何回もの入退院を繰り返しながら、会社にも勤めていました。
大きな手術も二回ほど受け、その手術は16時間位あったそうです。
入退院は大変でしたが、そのおかげで、長年の悩みから解放されました。
手術を受けて本当に良かったです!

暗い話ばかり続いたので、好きな物の話もしますね。
運動が苦手だったので、活発に外で遊ぶ子供ではなかったです。
家の中で、本を読んだりお絵かきをしたり、お人形遊びをしたりしていました。

テレビを観る事も好きでした。
色々な番組を観ていましたが、やはり一番はアニメです。
特に「魔法使いサリー」などの少女向けアニメで、私の方向性が決まったような感じでした。
今でも、アニメは大好きで好んで観ています。

手芸は小学校の家庭科で習うようになってから、少しずつ始めました。
私は不器用で、何をやるにも物覚えが悪く、時間もかかりました。
でも、手芸は好きでした。
文字通り、下手の横好きとでも言うのでしょうね(^^;;

手芸店にも良く通い、新しい手芸の講習会にも参加しました。
クレープペーパーを使うボトル人形、アンティーク風ドールを作った事もあります。
石けんにピンを刺してリボンを巻くソープクラフトもやりました。
不器用なので、なかなか上手くは行きませんでしたが、
それでも何とか作品になった時は嬉しかったです!

学生時代は友達がいませんでしたが、社会人になってからは、人並みに友達が出来ました。
私は手紙を書くのが好きだったので、雑誌の文通コーナーに投書をして、
沢山の文通相手も出来ました。

そんな中、やはり文通で運命的な出逢いをしました。
今の旦那との出逢いです。
旦那とは、ドールやアニメが好きと、趣味も似ていたので、すぐに打ち解けました。

旦那は東京に住んでいたので、私は東京の旦那の自宅にお嫁に入りました。
そして、念願のヴォーグ学園東京校の人形のドレス教室に通い始めました。

ドレス教室は、本当に楽しかったです。
でも、本来不器用な私はミシンの使い方もなかなか覚えられず、
気が付けばクラスで一番ダメダメな生徒でした。

でも、そんな私を先生方は親身になってくださいました。
小川先生、本多先生には、本当に感謝しています。
もちろん、クラスメイトの友達の助けにも感謝しても仕切れません。

クラスメイトとのおしゃべりも楽しかったです。
教室の帰りに一緒に昼食を食べたり、手芸店に行く友達も出来ました。

でも、東京にはそんなに長くはいられませんでした。
わけあって広島県に引っ越す事になりました。

ヴォーグ学園東京校は休学となり、大阪校に転入しました。
そこでも、お人形のドレス教室があったので通いました。
でも、やはり広島から大阪は、ちょっと距離があったので、半年しか続きませんでした。

広島県は尾道市に住みました。
実は、私の旦那が大林監督の映画ファンで、観光に来た尾道をとても気に入ってしまったのでした。
それだけ尾道は風光明媚な良い場所でした。
尾道市の商店街のお店や中央郵便局などで、私のお人形やテディベアの展示もしました。

地元ローカルの番組ですが、テレビやラジオ番組に出演した事もあります。
長い間かん黙児で、全然話も出来なかった私としては、凄い事だと思います!

その後、うつ病や色々な病気にかかり、病院に入院もしたりしました。
そんな良い場所で、なぜ次々と病気が発祥したのかは今でも不思議ですが、
幼い頃からのトラウマや何かがあったのかも知れません。

現在は病院の関係で広島市に住んでいます。
病気の療養をしながら、今でも時々、お人形の服やテディベアを製作しています。

もう、孫がいてもおかしくない歳ですが、子供がいないので、今でも旦那と2人で、仲良く暮らしています。

それに、私達だけでなく、沢山のドール達やテディベア、ぬいぐるみ達もいますので、寂しくなんかありません!

こんな私ですが、これからもよろしくお願いしますね(*^_^*)

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